小さい薪の話

私の住む開田高原にトウヒの森という場所があります。Kさんという方が個人でドイツトウヒという木を植林し、永い年月と手間暇をかけて素晴らしい森となって、多くの人が開田高原でも一番好きな場所というくらい素敵な場所になっています。

そのKさんが数年前に亡くなられ、奥様も当地を離れる事となったため、ある知人が管理を任されることになりました。その際、大量の薪が残されていたことから、その薪は地元の希望者に若干の寸志で配布される事になり、私も軽トラ一杯ほど、頂くことができました。

ただ、行ってみると20センチちょっとの短い薪ばかりで、私が普段使っている40センチ以上のサイズからは、ずいぶん短く、ちょっとがっかりしてしまいました。

それでも、しっかり乾燥は進んでおり、使えば良く燃えるので、不満はありませんでしたが、どうして、わざわざ手間のかかる短い薪にしたのか、しばらく不思議に思っていました。

薪は原木を丸切りし、それを斧か薪割機で4本から6本くらいに割り、それを乾燥用の薪棚に積むという結構大変な作業なので、倍近い手間をかける意味が理解できなかったのです。そんな時、とある方から、Kさんが「自分が先に逝く事となったら、薪ストーブの薪くべを奥さんがする事となるから、軽い小さい薪をたくさん作っておくんだ」という様な事を言われていたと聞き、「あ、そうか」と今までの不思議さが晴れたと同時に、Kさんの奥様への深い想いに強い感銘を受けました。

我が家でも、薪ストーブの薪くべは、ほとんど私の役割ですが、たまに妻がする時は、小さい薪を「愛情薪」と呼んで、「愛情薪使いなよ」と、Kさんにあやかって、ちょっと優しい気持ちに浸っています。

そんな背景も感じながら、その薪の炎を眺めていると、ただでさえ癒される薪の炎が、より一層落ち着いた気分にさせてくれます。皆様にもこの癒しをお分けしたいと思い、炎の動画をフェイスブックとインスタグラムにアップしていますので、是非ごらんください。